東京都の大江戸線の駅近くにある小さな寿司屋で、筆者は思わぬ出来事に遭遇しました。その日、いつものように仕事帰りに立ち寄ったこの寿司屋は、狭いながらも常連客が集まる人気の店でした。店内はすでに満席で、筆者も相席をお願いされることになりました。相席となったのは、穏やかな雰囲気の老夫婦と、隣に座っていた若いカップル。この4人で静かに寿司を楽しむはずでしたが、ここから物語は予期せぬ方向へと進んでいきました。
老夫婦は、どこか遠慮がちにメニューを見ながら、少しずつ注文をしていました。女性の方が特に興味を持っていたのは、握り寿司の盛り付け方でした。普段は家庭で簡単な料理を楽しんでいるのでしょう、彼女は寿司の美しさに心を奪われた様子でした。

「このお寿司の作り方を教えていただけますか?」
彼女の素朴な質問に、寿司屋の大将は一瞬だけ無言で彼女を見下ろし、眉をひそめました。何かが気に入らない様子でした。店内が一瞬静まり、筆者も若干の緊張感を覚えました。そして、彼の口から放たれた言葉は、場の空気をさらに悪化させました。
「寿司の作り方なんて、簡単に教えられるもんじゃない。修行が足りないと分からないんだよ。無理だね」
その口調は、まるで彼女の質問が場違いで、無礼であるかのような響きでした。彼女は一瞬、言葉を失い、困ったように苦笑いを浮かべ、慌てて「ごめんなさい」と謝りました。その光景は、とても痛ましく、筆者はすぐに不快感を覚えました。
「何もそこまで言わなくても……」と心の中で思いつつも、筆者はしばらく言葉を飲み込みました。しかし、その時、隣にいた若いカップルの男性が、静かに大将に向かって口を開きました。

「すみません、大将。確かに寿司職人の技術には敬意を払いますし、修行が必要なことは理解しています。でも、お客様にそのような言い方をするのは、ちょっと違うんじゃないですか?」
その声は落ち着いていて、感情的な怒りではなく、あくまでも冷静に大将の態度を指摘するものでした。寿司職人としてのプライドを尊重しつつも、相手を傷つけないようにしっかりと意見を述べる、粋な態度でした。
若いカップルの女性も続けました。
「私たちもこのお寿司が大好きですし、技術に感謝しています。
でも、誰でも質問くらいはしたくなりますよね。せっかくの食事の時間、楽しく過ごせるともっと素敵だと思います。」
その瞬間、店内の空気がピリッと張り詰めたように感じました。大将もその言葉に戸惑ったのか、一瞬、返答に詰まっているようでした。しかし、すぐに表情を戻し、特に謝罪するわけでもなく、再び黙々と寿司を握り続けました。

それを見た若いカップルは、静かに立ち上がり、会計を済ませ、無言で店を後にしました。筆者もその場の不快な雰囲気に耐えられず、老夫婦と共に店を後にすることにしました。
店を出ると、先ほどのカップルが路地裏で話しているのを耳にしました。
「最近、こういう店って少ないよね。でも、ちゃんと意見を言うって大事だと思うんだ。」
「そうね。やっぱり美味しいお寿司を食べるだけじゃなくて、雰囲気も大事よね。
」
その言葉には、今どきの若者では珍しい、他人への敬意と同時にしっかりとした自己主張が感じられました。彼らの振る舞いは、まさに「粋」という言葉がぴったりでした。無理に感情を爆発させることなく、冷静に、しかし毅然と自分の意見を述べるその姿勢には、筆者も胸を打たれました。
今回の出来事は、単なる寿司屋での一場面に過ぎないかもしれません。しかし、そこでのやり取りは、人と人との関わり方について多くのことを考えさせられました。確かに職人としてのプライドは重要ですが、同時にそれを伝える「言葉」の使い方はさらに大切です。お客様を大切にし、尊重することで、より良い関係が築けるのではないでしょうか。
そして、この日出会った若いカップルの粋な言動を通して、現代の若者にもまた、心に響く「粋な姿勢」が存在することを強く感じました。